まとめ


まとめにはならないまとめですが。
まあ、この10年で、文科省や都教委による施策が教育現場に雨霰とふりそそいだわけだけれど、生徒の学力低下も言われてね。その要因として教員の質低下も言われてきた。だけど、それは違うと思うんだよね。少子化で教員が定年退職しても、新規採用は少なかった。つまり教員は同じ人である。同じ人間で質が低下したのなら、教材研究をする暇もないほど雑務を増やす行政に問題がある、と私は断言できる。そこへ教員免許更新制というのは本末転倒も甚だしい。そのうち廃止するらしいけど。

また、専任を減らして講師で補充していることや、少子化で特定教科の教師が余ると転科させていることの方がはるかに問題が大きいと思う。たとえば情報科。全然専門教育を受けていないのに、何時間かの講習で情報科の教師にしている。本人の希望ということになっているけれど、管理職が騙すとか押し付けるというケースもあったようだ。私なら自分の専門を投げうって他の教科になろうと思わないけどね。そういう状況を抜きにして、「授業参観に行ったらその教師のレベルが低かった、質が低下している」などと短絡的に判断しないでもらいたいと思う。

理屈ばかりだと飽きるから...エピソード。
息子が小学生のとき、外国人講師が来た。自由の女神の話になって、担任の先生が女神をqueenと言い、そのあとgoddessと直したらしい。(どちらも間違い)  また、ある時は「カシオペアはwの形をしているんだ」とww(実際は二つつなげて)と板書した。息子と友達が「違うよな」と言った挙句、先生が「なんだ?」と言うので、黒板に出ていって「wってこうでしょ?」と書いた。先生は「うん、そうだな」と言ったという。その話をきいて私は可笑しかった。(教科書の図がwwになっているので先生は混乱したのではないだろうか、実際は一時間後の移動したカシオペアも図に描かれていたのだ。)こういう間違いをするからと言って私はその先生を責めようとは思わない。英語も含め、なんでも間違いなくできるというスーパーマンを安月給で夜遅くまで働く小学校教師に求めるのは間違っていると思う。そんなに優秀なら教師なんぞしていないと思うんですがね。

教育政策で意図するところには多分ニ種類あると思う。一つは「日の丸・君が代」に代表されるようなイデオロギー的なもの、もう一つは真に立ち遅れているから何とかしなくてはというもの。前者は強制と処分により現在行われている。後者は情報と英語だろうと思う。英語研修は前に述べたので、情報について書こうと思う。

2004年?「情報教育指導者研修」というものを受けた。趣旨は授業にPCを使うように各学校で指導者の役割を果たす教員の養成である。そんなこととは知らず私は単にPCの講習だと思って申し込んでしまった。分厚い冊子とCD5枚を資料としてもらった。中身はそれぞれの教科でPCを使う具体例、総合学習でどう利用するか、というものだった。ところが、実際上、普通科の学校にはPC室が一つしかなく情報科が導入されれば、他の教科ではほとんど使えない。商業高校では何室かあるが、そこはそこで情報処理科が使う。指導者が学校へ帰って他の教員に指導してPC室を使ってもらう、という趣旨なのだが、グループ討議の結果、「他の教員に使ってもらうことは不可能です」が結論。教えてくれるのも都の教員だったので、そのあとは方向転換しましたよ。みんな何がしたいか、というのでパワーポイントと動画作成にチャレンジしました。まあよかったと思います。

これは国の施策でそのCDは一人分5000円と聞きました。どなたか一生懸命作ったのだろうと思うし、立派なものなのだろうと思います。でも何の役にも立ちませんでした。今はオンシツコナジラミが光るものを嫌うというので、ご近所の方のみかんの木にぶらさがっています。(^^;

その後、職員全員にPCについてアンケートが毎年?行われるようになりました。質問項目は忘れてしまったけれど、「パワーポイントを使ってプレゼンテーションができるか?」「エクセルで~ができるか?」のようなものだったと思います。PC室を使ってやったことがないのでわかりませんが、どうもどれもできそうな気がするんです。でも、「できる」と答えたらいいのか、「できない」と答えたらいいのか正直迷いましたね。下手に「できる」と答えてまた仕事がふってきたら嫌でしたから(^^;
ただのアンケートだったようです。正直に答えましたよ。
 
私個人はPCを使って英語の授業をしたいのだけれど、LL(語学実習室)がcallシステムになってPCに統合されるというので喜んだんです...ところが実際はLL教室をなくして、PC教室のPCにソフトを入れただけでした。どこのメーカーのcallシステムにするか選んでくれ、という話があったけど、使えないものを選んでも仕方ないじゃないですか。英語科では要らない、としたんですが、都では入れなくてはいけないことになってるんですね。

こういう風に、どんな施策もしっかり金を使わないで中途半端にやり、あとは現場の努力任せだから、無駄になってしまいますね。教育予算が先進国の中で少ないという議論もあるようですが、あれこれに少しずつばらまいているだけだと効果はないというのが実感。それに比べて現場では涙ぐましい努力をしていると言えば自画自賛でしょうか。

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